2024.08.02

【連載 コラム No.3】カントvs.トクオカ

 
 
古今東西二大著作といえば、カントの「純粋理性批判」とトクオカの「イノベーターシップ」であることに議論の余地はないであろう。
ただ、カントはトクオカに比べ広い読者を獲得していない。
 
 

 そこでまずカントの論について簡単に紹介しておこう。
「純粋理性批判」という題名はやや誤解を招きやすい。
「理性なんてダメ。感性だよ!」という理性否定の書ではない。
理性はどこまで物事を認識できるのか、という人間の共通理性の射程について論じた書である。
 
 

 カントは理性を「直観」と「吾性」に分解する。直観とは時間と空間上に存在するものを認識する力である。
まず人間はあるものを認識するにあたり、それを時間軸と空間の軸にプロットする。
それができないものは理性ではとらえられない。
認識の第一段階である。この段階ではナニモノかがある空間とある時間に存在するということだけがわかるだけである。
それが「何」であるかはわからない。次に吾性の登場となる。
吾性には経験上発達する吾性と生まれながらに備わっている(人間が共通して有している)吾性の二つがある。
前者は例えば「犬」というものが存在しない世界から来た人は、犬を目にしてもそれが「犬」だという認識はもてない(吾性が働かない)ことを想起すれば分かりやすいだろう。
他方、論理的思考様式(原因と結果等)については、人間は共通して有している。
これを「カテゴリー」とカントは呼ぶ。
つまるところ、「直観」でとらえられ、かつ「一定の思考様式で識別できるもの(典型的には自然科学)」が理性の届く限界ということになる。
 
 

 カントが自画自賛した「コペルニクス的転回」とはこれである。
「認識は対象に従う」のではなく、「対象が認識(様式)」に従うというわけだ。
ここから「問うても仕方ない問」がでてくる。例えば、「神は存在するか」。
神は時空上には存在しないのでそもそも直観でとらえられない。当然理性では認識できない。
したがって、神の存在について人々の間で共通認識をつくることははじめから無駄だということになる。

 
 
 さて、しかし、現実のビジネスの世界では「問うても仕方ない問」を問わなければいけない。
人間の共通理性が自動的には合意できないことを対象にしているのがビジネスの本質であり、つまりカント的理性の限界のその先にあるものである。

 
 
 ここからトクオカがバトンを引き継ぐ。
いかに論理的プレゼンテーションをしようとも「人間ならだれでも合意する」という類のものはない。
イノベーターとは共通理性の先、多くの人が同意しないその状況を打破していく人々である。
彼は「思いのマネジメント(MBB)」という言葉を使う。そう、思いとは理性を超えた情熱であり真摯である。
 
 

 最後に人を動かすのは科学的に実証された事実ではなく「思い」なのである。
カントの語った人間共通の理性とトクオカが語る思いを連続的にとらえることによって人間の認識、こころ、行動について全体が見渡せるようになるであろう。
カント+トクオカ=人間の理性と心。恒等式なり。
 
 

藤井敏彦

藤井敏彦

株式会社ライフシフト ストラテジック・アドバイザー

1964年生まれ。87年、東京大学経済学部卒業。同年、通商産業省(現・経済産業省)入省。94年、ワシントン大学でMBA取得。通商、安全保障、エネルギーなど国際分野を中心に歩き、通商政策課長、資源エネルギー庁資源・燃料部長、関東経済産業局長、防衛省防衛装備庁審議官、国家安全保障局(NSS)内閣審議官などを歴任した。2000~04年には在欧日系ビジネス協議会の事務局長を務め、日本人初の対EUロビイストとして活動するなど、豊富な国際交渉経験を有する。NSSでは経済班の初代トップとして、経済安全保障推進法の策定などに携わった。主な著書に『競争戦略としてのグローバルルール』(東洋経済新報社)など。