【連載 コラム No.6】サルトルとトクオカの接点
最も人気のある20世紀の哲学者といえばおそらくサルトルでしょう。
サルトルはフッサールの現象学を出発点にしつつ大胆にそれを改変しながら独自の実存主義哲学(existentialism)を形作っていきます。
第二次世界大戦後の荒廃したフランス、特に現状に不満を募らせる若者にとってサルトル哲学の行動主義的側面は、
その個人的かつ学問的パートナーであるボーボワール(主著「第二の性」)の二人を時代のアイコンにしていきます。
モンマルトルでの講演には大勢の聴衆が押しかけ大混乱になったというエピソードを載せていないサルトル関係の書籍はほとんどないでしょう。
さて、サルトルの哲学が実在主義と呼ばれることを象徴する彼の言葉に「存在は本質に先立つ」というものがあります。
また同じく「投企」という言葉もサルトル理解には欠かせません。
 
LS風に解釈してみましょう。
本質とは「自分はこういう人間だ」、または「ハサミは紙を切る道具だ」というような言明です。
定義とでも言いましょうか。
「存在」は「投企」とセットで理解するほうがわかりやすいでしょう。
何事かに身を投じていくこと。またそのような在り様を指します。
つまり、サルトルの実存主義とは「己は何者か」などと考えるに先立ってまず行動せよと訴えるものであります。
だからこそ戦後混乱期にアイデンティティの喪失に苦しむ世界中の多くの若者にとって生きる指針となったのだろうと思います。
また、人間はその本質の如何に関わらず行動する自由を持っている、
その自由こそ重要なのであるという「自由主義」にもつながります。
トクオカのリスキリング、イノベーターシップとのサルトルの接点は既に明らかかもしれません。
過去のキャリアの中でつくり上げられてきた自己像(自分の本質)に過度に囚われてしまえば足が前に進まない。
無意識的もしくは意識的に自己を縛っている「自己の本質」を徹底的に理解することを通じ、よい意味でその束縛を解く。
これはリスキリング研修の重要な要素です。
キャリアの棚卸、「波乱万丈記」をものすことによる振り返りは、
みずからの強みを確認する意味に加え、過去の自分を超えて行動する契機となるものであります。
つまり、形成された「本質」を超えるための一歩でもあるのです。
そしてイノベーターシップの研修は社会への働きかけに向けた第一歩を踏み出すことをお手伝いするものと言えましょう。
過去の経験を捨て去るということではありません。
しかし、「存在は本質に先立つ」。
つまりあなたが過去に何者であったかということは将来に向けて社会に関わっていくことをなんら制約しません。
ただ、そのためには身につけなければならないものがある。
イノベーターシップの研修では提供します。
あなたは自由な存在であるということを。
イノベーターシップとはかような自己認識に宿るものなのです。
では、今回はこれにて。