2023.12.20

【連載シリーズ】歴史視点から個人情報保護を考える

 

あれよあれよという間に世は師走。諸行無常は人生の習い。

みなさまも無常の日々をお過ごしのことと存じます。

ちなみにわたくし寝付けないときは(わたくし寝つきも悪ければ寝起きも悪い)

兼好法師の徒然草の朗読を聞きくことにしています。

「つれづれなるままに日ぐらしつづりにむかひて・・」。すやすや・・

 

 

さて、入眠法は各人各様ですがシニアならだれでも兼好法師のような

「束縛のない淡々とした日々」に思いをはせることもあるのではないでしょうか。

 

 

しかし!2023年最後のコラムは心を鬼にして「歴史教養×セキュリティ」の

深淵なる世界に震え不眠症に陥る覚悟でお読みいただければと思います。

年末年始どうせいくらでも寝られますから。

 

 

さて、ビジネスにおいて今日セキュリティと言えばなんといっても

顧客や従業員の個人情報についてのセキュリティではないでしょうか。

 

 

お客様の情報の漏洩で経営陣が

テレビカメラの前で深々と頭を下げるという光景は毎日のように繰り返されています。

この問題を掘り下げてまいります。

 

 

そもそも個人情報保護という概念はいつ生まれたのでしょうか。

日本で語られ始めたのはむしろ最近の部類にはいります。

もちろん、世界的にはそうではありません。

「個人情報保護」という概念はある時点で日本に伝来したわけです。

日本伝来に至る前の歴史的視点から始めることでその本質に迫ることができるかと思います。

 

 

まず、個人情報保護に厳しいといえばなんといってもEUです。

EUの個人情報保護法は非常に厳しく、

域内の個人情報を持ち出すには、

持ち出す先の国がEUと同等の保護水準の制度を有していることが条件となります。

長らく日本企業もアメリカ企業も欧州市場の顧客情報どころか

従業員情報を本社と共有することすらできませんでした。

 

 

EUは土壌のないところに突然「個人情報保護」という木を植樹したのではありません。

個人情報保護の重要性という広範な社会的理解があり、

はじめて厳格なルールの設定が可能になったのです。

 

 

個人情報保護の起源はアウシュビッツです。

ヨーロッパ最大のトラウマ、ユダヤ人ジェノサイドこそ出発点なのです。

 

 

なぜ?

考えてみてください。

なぜ、ナチスはユダヤ人とそれ以外の人を峻別できたのでしょうか。

外見からは不可能です。

当時のヨーロッパはほぼ全域がナチスドイツに占領されており、

各国政府はナチスの傀儡政権でした。そうです。

アウシュビッツを可能にしたのは各国政府が個人情報であるところの

ある人の民族的属性をナチスに提供したことなのです。

 

 

つまり個人情報が保護されなかったためにあの悲劇は起こったのです。

 

 

なぜ、欧州が個人情報保護を人権の一部と考えるか、もはや明白でしょう。

個人情報保護は基本的人権を守ることの一部なのです。

だからこそあのように厳しいルールが社会に受け入れられたのです。

 

 

このことを知らない当時の日本の典型的反応はというと

「またぞろヨーロッパが基準をつくって一儲けしようとしている。なんてずる賢い連中なんだ」

このような反応が個人情報という概念ができあがるまでのヨーロッパの惨劇と

苦悩の歴史ついての理解の欠如に由来することは言うまでもありません。

 

 

そして、その後は日本の過剰反応がはじまります。

そもそも人権侵害を防ぐための個人情報保護ですから、

欧州では人権侵害につながらないような個人情報の流出は日本のように大きな問題になることはありません。

 

 

伝来当初の冷笑的対応からいつの間にか一転して金科玉条に。

個人情報は絶対的神聖と化します。

経営陣の謝罪会見、あの光景は個人情報の歴史と意味への理解不足がもたらした日本的悲喜劇なのかもしれません。

 

 

リスキリングの4つのSはいずれも多面的なものですが、とりわけセキュリティについてはそういえます。

経済安全保障、ルールメイキング、防衛問題、地政学、

戦争論、サイバーセキュリティ、家計のセキュリティ!などなど。

今の日本ではどれも不足しているので、

幅広い基礎知識としてリテラシーを高めることや、

自分の今後の専門分野として極めていくこともあるでしょう。

 

 

しかしそのどれを取り上げるにしても、

単に流行を表層的に追いかけてテクニックを学ぶのではなく、

なぜセキュリティを学ばなければいけないのかに立ち戻って、

掘り下げ、そして何を目的にして学ぶのかを考えてみることが大切です。

 

 

そうでなければ、やみくもに振り回してしまうか、

もしくは振り回されるかどちらかになってしまいがちです。

あるイシューについて学ぶということは自分なりの軸を持つということです。

 

 

日本では悲しいかな表面的掛け声が金科玉条になり、

過剰なコンプライアンスがそれに続きます。

「合理的リスク」をとらなければならない時代にこのありさま。

現状を変えることができるのはシニアの皆さんをおいて他にはいません。

皆様は何をさておいても本質的理解をお持ちになることが必要なのです。

 

 

本年のコラムはこれが最後になります。

来年、再びお目にかかるまで少し時間がかかるかもしれませんが、

必ずまた会いしたいと願っています。

一緒にリスキリングの4つのSの軸をつかみとっていきましょう。

終わりのない努力を一緒に続けてまいりましょう。

 

 

それでは、みなさん良いお年をお迎えください。

藤井敏彦

藤井敏彦

株式会社ライフシフト ストラテジック・アドバイザー

1964年生まれ。87年、東京大学経済学部卒業。同年、通商産業省(現・経済産業省)入省。94年、ワシントン大学でMBA取得。通商、安全保障、エネルギーなど国際分野を中心に歩き、通商政策課長、資源エネルギー庁資源・燃料部長、関東経済産業局長、防衛省防衛装備庁審議官、国家安全保障局(NSS)内閣審議官などを歴任した。2000~04年には在欧日系ビジネス協議会の事務局長を務め、日本人初の対EUロビイストとして活動するなど、豊富な国際交渉経験を有する。NSSでは経済班の初代トップとして、経済安全保障推進法の策定などに携わった。主な著書に『競争戦略としてのグローバルルール』(東洋経済新報社)など。